演劇カルトのせいで4回死にかけた話。 #女の子は死なない

体調不良

幼少期の性被害、そしてその後演劇人・映画人によってありとあらゆる再被害を重ね、その度に「なんでかわからないけど、なんとなく体調が悪い」が増えていきました。

子どもの時は、起立性調節障害や癇癪や夜尿症、不整脈、一番困ったのは「なぜかすぐ疲れる」ことで、検査入院もしましたが異常はみられませんでした。学校にはほとんど通えていませんでした。

大人になって、いろいろなことを飲み込むようになってから、だんだんと家事ができなくなっていきました。物忘れや、うっかりが多く、とにかく疲れる。演劇はアドレナリンが出るから、稽古から本番まで栄養ドリンク漬けで乗り切って、終わった後の休みの期間は家でばったり倒れ込んで、なんだかわけもなく悲しくなって泣き続ける。

被害の度に悪化して、突然自死を決意したこともありました。それを引き止めた演出家に命を救われた、と勘違いして、支配関係に囚われ、さらに2回死にかけました。3回目でようやく精神科に入院し、それでも退院後も、さまざまな不調に悩まされました。

布団から起き上がれない日が週に1日、2日、と増えていき、なぜか身体のあちこちに良性のしこりが多発したり、自律神経が壊れ、冬場はどんなに着込んでストーブにあたっても手足が冷え、夏場は火照って氷をあてないと眠れず、毎晩のように悪夢を見て動悸と共に目を覚ます。疲労感が抜けず、映画や本に没入することも難しくなりました。シャワーの途中、へたりこんで2時間ほど動けなくなった時もありました。何度も全身を検査しましたが、身体疾患ではないようです。

それでも無理をし続けた挙げ句、2020年、とうとう身体が動かなくなり、食事の用意もできずに床を這いずり、1,2日に一度、ストックしていた袋麺を茹でることもできずそのまま食べるのがせいぜいという状態になってしまいました。当然生活はままならず、再び入院し、休業することを決めました。

現在も色々と治療をこころみ、多少改善したものもありますが、体力は相変わらず落ちていく一方です。いまの現場では幸いとても理解を得られており、心理的安全性を確保して稽古を進め、負担も少ないため参加できていますが、これから継続的に「プロ」の現場に立てるまでに回復できるかはわかりません。

矮小化と否認

それでも長いこと、自分の心身の不調の原因を、過去の被害のせいだと認めることができませんでした。19歳の時の出来事は長い間記憶に重たい蓋を載せていたし、小さな頃誰にも助けて貰えなかったことが源流だと突き止めてしまったら、今までの人生は何だったんだろうと思ってしまう。

精神科医に対しても「過去にいくつか被害を受けたけど、それによって精神状態が悪化しているわけではない」と当時はなぜか強く言い張りました。のちに読んだエレン・バス、ローラ・デイビス『生きる勇気と癒やす力』に、その時のわたしとそっくりな患者の言葉が書いてありました。心の傷に対応する無意識の反応、サバイバル行動のひとつに、否認があげられています。

虐待があったことは認めても、その影響のほうは認めないサバイバーもいます。「その事はもう解決済みだとセラピストに伝えたら、ちゃんと信じてくれました」

(エレン・バス ローラ・デイビス『生きる勇気と癒やす力』p45 三一書房 2014年新装改訂版)

過去に向き合わないように、向き合わないように、自己啓発書を読み漁って、あの過去は大したことがなかった、乗り越えたことにしたいと、足掻きました。それでも身体は日に日に動けなくなっていきました。徐々に、やはり過去の心的外傷が影響しているのではないか、という考えがもやもやと頭に浮かぶようになりました。

でも当時、わたしの苦しみのすべてを矮小化されず、理解してもらえるとは信じられませんでした。ひとつひとつのことを、誰かに少しでも話すと「そのくらいで?」「もう過ぎたことだし」「だめんず」「メンヘラw」と流される。自分も自分に散々そう思っていたことだから、うまく反論もできない。
けど、それなら、どうしてこんなにしんどいんだろう。

(わたしが死なないかぎり、それほどのことだったと、誰も理解してくれないんじゃないか)

2021年夏、4度目の死が迫りました。遺書にすべて、その時思い出せる限りの、過去にされた許せないことを書き記しました。書いていくうち、どうせ死ぬなら、もう俳優として今後売れるかどうかなんて関係ない、死ぬ前に全部ぶちまけてからがいいか、と思いはじめました。

Y監督に関する告発を行ったり、俳優学校の副校長に、先輩からの性暴力が横行していたことを陳情しにいきました。

副校長や周囲の人たちの多くは、予想と違い一緒に怒ってくれました。
学校も変わらなくてはいけないのだと、副校長は今後の予防策についての提案を聞き入れ、加害者と関わらないことを約束してくれました。
心配して声をかけてくれた女友達と、つらさを分かち合うことができるようになりました。少しだけ希望を持ちました。

が、Y監督について弁護士の無料相談を受けた時は、弁護士に受任を拒否され、「未来のためにエネルギーを使ったほうがいい」ときつい口調で言われました。
(そのとき紹介された弁護士事務所は法テラスの案件を受けておらず、休業しているわたしの支払い能力の問題や、勝てたとして得られるであろう報酬の問題からそうしたのかも、と思います)

わずかな希望を見た後で絶望させられることの繰り返し繰り返し、疲労から通院も滞るほど何もできない状態になりました。

数週間空いて診察室に顔を出したわたしに主治医が「死んでしまったかと思いました」と言い、わたしはただ、ぼろぼろ泣いていました。
それほどのことだと、理解してくれる人はいる。そう思えるようになって、死への意識を遠ざけようと努力するようになりました。

それでも、そのときはまだ、わたしに一番傷を残した演出家と、二度と共に仕事をすることはなくとも、せめて対話による和解はできるのではないか、当時のことを反省してくれるのではないかと思っていました。この時でさえ、マインドコントロールの最中にいたのです。

捉え直し

2022年春、日本に第二次と言うべきか、MeTooムーブメントが始まりました。映画界における週刊誌報道から拡がった話題を一過性のものにしたくないと思い、映像業界における性加害・性暴力をなくす会の共同声明に参加しました。

たまたまこの時期、『女の子は死なない』のオーディションで出会った美熾さんと会いやすい距離に住んでいたので、何度かお互いの話をしていくうちに、わたしに一番傷を残した演出家に言われた忘れられない言葉を、美熾さんにふと吐き出しました。
それはとても残酷な行為を過去に行っていたことをわたしに自慢するようなもので、それをあの演出家の家で聞かされたことがなんだったのか、長い間処理できずに苦しかった、混乱した記憶でした。それを聞いた美熾さんはひとつも茶化さず、

「それは、あなたへの虐待だよ。虐待を肯定させるのも、虐待のひとつ」

そう、断言してくれました。
美熾さんとの会話をきっかけに、わたしの中で思い込んでいた『自分のせいで、ダメな恋愛をした』経験を、『年上の演出家兼演技講師が、大学生相当だった年の生徒をグルーミングし、虐待した』経験として捉え直すことをはじめました。

状況や年齢も違うけれど、「わたしが先生の「ロリータ」だったころ 愛に見せかけた支配について」はとてもよく整理されたノンフィクションで、当時、寄る辺のない自分があの演出家に支配されてしまう過程とアリソンの心理描写に重なる部分を多く見つけました。支配関係から抜け出したその後の人生にも長期的に影響があることも含めて。
そして、エントラップメント型の性暴力について詳しく書かれた「性暴力被害の実際: 被害はどのように起き,どう回復するのか」では、当事者にとって真の性的同意とは、恋愛感情の有無でなく、単に両者のYESの言葉でもなく、日常生活から対等に尊重し合う関係が既にある、という条件がまず必要である、と解説されていました。目から鱗でした。

先の演出家に対してだけではなく、いままでの全ての関係があった男性に対して、恋愛感情(※と当時思っていた、相手への強烈な感情)があっても、DVやフェアではない関係に傷つき続けてきました。
調べるほど、正体のわからない辛さに名前がついていく。
受け入れて自分を取り戻していくような作業は苦しいけれど、わけがわからないままよりもずっと前向きでした。

(わたし、真の性的同意があった経験、ひとつもないな……。)

脱会――集団健康度チェック

メディアで映画業界の問題が取り上げられる一方で、演劇界での性暴力についての声は上がりつつも、埋没していきます。

文化庁などから助成金を得たり、公共劇場で公演を行うような専業の演出家・劇作家だとしても、一般的な知名度の問題で、週刊誌が記事にすることは難しい。
税金で活動して得た権威で性暴力を働いている男たちが何人もいるのに、社会問題として大きく取り上げられることもない。

告発をうけた演出家たちはしばらく沈黙し、否定したり、なんかエモく性暴力を恋愛にみせかけて矮小化した謝罪になっていない謝罪文を上げて消したり雑な調査を行って告発されたような事はなかったと言いはったりして、何事もなかったかのように、活動を続ける。こんなことが流されていく。
表沙汰になってさえ誰も説明責任をまともに果たさず、黙っていれば黙っているほど得をする。

数々の風化しかけている(そんなことは絶対にだめ、わたしたちは忘れない)告発たちを見ているうちに、固く閉ざした記憶の蓋が開きだしました。飲み込んできた感情が湧き出して、2ヶ月近く、吐き気が止まらなくなりました。

演劇界の常識がおかしいのではないか?

パンドラの匣が開きました。

……なんでわたしは、あのときも、あのときも、あのときも、自分が悪いと思い込まされたり、権力勾配のもとに支配され虐待されたことを、恋愛だと思い込まされていたんだ?

押し込めていた記憶と感情がとめどなく押し寄せてきました。じゃあ、あの支配は、なんだったんだろう? なぜあの暴力を、暴力とすら思わず、逆らえなかったんだろう?

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